つくばエクスプレス「八潮駅」北口目の前

院長紹介

院長プロフィール

1997年5月 歯科医師免許取得
1997年6月~
2006年2月
開業医にて歯科医療を研鑽
2006年4月 八潮駅前通り歯科医院 開院
2006年6月 日本大学歯学部にて博士号取得

所属学会

日本口腔インプラント学会会員
日本歯科理工学会会員

生い立ち

生まれは五つ子を取り上げたことでも有名な東京都板橋区の日大病院。医師の父と薬剤師の母の元で、昭和47年9月8日にこの世に生まれました。育ちは東京都新宿区の新大久保。兄弟は2歳下の弟がいます。年の近い弟であったのでウルトラマンごっこや仮面ライダーごっこなど、いつも一緒に遊んでいました。母は弟とおそろいの服を選んでくれる事が多かったように感じます。幼少期は父が仕事帰りにいつもたい焼きを買ってきてくれるのが楽しみでした。サッカーをはじめ、外で遊ぶことも大好きだったので、たい焼きを食べた後には近所の駅前までや、近所の土手沿いを2キロほどランニングするのが習慣になっていました。この習慣は小学生のころずっと継続していたためか、走ることは得意でした。ランニングの後は筋力トレーニング(腕立て、腹筋、ウサギ跳び、屈伸など)をテレビに出てきそうなくらい、今思い出しても結構ハードなトレーニングをしていたと思います。

この習慣のおかげか、区大会の100メートル走で小学校代表として選ばれたこともあります。小学校と中学校は地元の第二松江小、松江第二中に通いました。小学校の時は、勉強が嫌いな訳ではなかったですが、正直得意ではありませんでした。いつも授業中は外で行われている体育の授業を眺めていて、担任の先生に「よそ見をするな!」とよく怒られていたものでした。かといって体育全般が得意であったわけでなく、器械体操やプール(水泳)、鉄棒は不得意でした。このような不得意な競技が一年間を通じて万遍無く存在していたため、通信簿はいつも5段階中4止まりでした。中学校になったからといって勉強が好きになっていたわけでもなく、変わらずにスポーツ系でした。中学校時代はサッカーのワールドカップで人気を博したアルゼンチン代表のディエゴ・マラドーナを目指してサッカー部に入りました。背番号はエースナンバーの10番!ではなく16番でした。サッカー特有のリフティングすらも苦手なまま卒業してしまいました。

高校は都立篠崎高へ進学。自転車で30分の場所です。中学校で入っていたサッカーを高校でも継続しようと思っていましたが、一緒に進学した友達に水泳部へ誘われて入部することに。最長で50メートルを泳ぐのが精一杯でしたが、友達の熱いお誘い(部員が足らなかっただけです)を受け、自分としては「一生泳ぎが苦手なままではなく、この機会に泳げるようになろう」と思い、入部を決意しました。高校の3年間で、1.5キロの遠泳ができるまでになりましたので、水泳部へ入部した甲斐は十分あったんだと思います。夏から大学進学を考えて、小さい時からの希望であった父と同じ医療の仕事につきたいと思うようになりました。

大学は神奈川県横須賀市にある神奈川歯科大学へ進学。大学ではテニスサークルに入りました。テニスといっても体育会的な厳しいモノではなく、部員が集まって食事会的な事を行うだけなっていましたが。ただ面倒見の良い先輩が多く、各学年での進級のサポートをして頂いたり、実習器具を譲っていただいたりと、沢山お世話になりました。当時、4年生の時に保存学科歯内療法の実習がありました。実習内容は根管治療(歯の中枢には神経が走っており、虫歯菌に感染すると神経を取り除いて歯根の中を消毒しなければなりません)をするのがメインとなります。その際に最も使用頻度が多く、しかもこれがないと根管治療が成立しない器具を初日から持って行かずに実習へ出てしまいました。もちろん、先生方にすごい剣幕で叱られました。まさに『やる気あんのかっー!!!』です。『すいません、ロッカーに忘れてしまいました!今から持って来ます!』と返事をしたものの、実はその器具を購入をしていなかったのです。嘘をついて(ダメダメな大学生ですね…汗)、とりあえず実習室から出てきて、出てきてから考えようと思っていました。大学内に器具の売店があるのですが、その器具は高額過ぎてとてもじゃないけど、手持ちのお金で買えるものではありません。最悪な状況です。そこで、思いついたのが、いつも何かと頼りにしているサークルの先輩です。頼ろうとした先輩は5年生(歯学部は6年制)で大学病院でのインターン中であることは知っていたので、確実に病党内にいます。まずどこの医局にいるのか探して、なんとか先輩を発見!事情もそこそこにただ「実習器具をください」と言わんばかりの勢いで貸して貰えました。

こんなにも必至に走り回ったため汗は滝のように噴出していましたし、泣きそうな顔をしていたので、それにびっくりして反射的に貸してくれたのだと思います。もしかするとこれが大学在学中で最も困難な機会だったと思うほどです。同じサークルなので面倒見が良い、というだけでなく、先輩方にはどれだけ甘えても優しく対応してくれて大変感謝しています

こういった、先輩方だけでなく、沢山叱られはしましたが、大学の先生方はとても面倒見が良かったと思います。他の歯科大学も良い面が沢山あると思いますが、自分の大学の先輩、医局の先生方から後輩や後者を思いやる気持ちを教えていただきました。現在、大学を卒業して社会人になり時も経つと、自分自身にも多数の後輩ができるようになりました。後輩をしっかりと気にしてあげること、サポートして、一緒に勉強に励むようになったのは、こういった大学での経験が今の礎になっているのだと思います。そしてその考えが、当院のチーム医療(患者様、歯科医師、歯科衛生士、歯科助手、歯科技工士の協力)をする助けになっています。

そして、今まで自分を支えてきてくださった方の恩義に報いるためにも、「自分がされて嫌な治療はしない」「自分が受けたいと思える治療を行う」事を念頭に、理想の歯科医院を追求していきたいと考えております。